山宮系神舞の仮面及び衣装

衣装
伊田白鳥神社の仮面と衣装

県指定文化財 有形民俗文化財 山宮(やまみや)系(けい)神舞(かんまい)の仮面(かめん)及(およ)び衣装(いしょう) (平成21年4月21日指定)

 

安楽山宮神社、田之浦山宮神社、白鳥神社に奉納される神舞に古くから用いられた12着の衣装(上衣・袴)と14面の仮面が奉納されている。

仮面には「弘化三年」(1846)、「文久元年」(1861)などの銘があるほか、製作者名や寄進者名が彫り込まれたり、墨書されたりしており、それぞれ3社の神舞の継承の古さや有り様を示し、衣装は今では製作できない手織り麻によるものである。

 

(1)安楽山宮神社の仮面と衣装(仮面5面 衣装4着 指定)

安楽山宮神社の神舞は、毎年7月上旬、刀舞は1月1日に奉納されており、安楽山宮神社は旧志布志郷の郷社であり、郷内の神社のほとんどの神楽(神舞)の系統であるといわれている。

神社の神事として和銅年間の創建と社伝にあり、それ以来伝えられているもので、神舞は33段が演じられていたが、現在次の21段が演じられている。 上衣三枚は袖に名前が染め抜いてあり、袴は一枚だけ名前が墨で書かれている。

 

(2)田之浦山宮神社の仮面と衣装(仮面5面 衣装4着 指定)

田之浦山宮神社の神舞は、ダゴの奉納とともに古くから行なわれている春祭りである。昔は夏祭りのときも奉納されたことがあったという。 最初は33段あったが、昭和17年の神殿改築時は27段が舞われ、戦時中は途絶え、以降昭和58年まで40年間中断したが、昭和57年に神楽保存会が発足し、昭和58年2月の春祭りに復活し奉納された。

神舞面は明治33年に作られたものが5面、昭和58年に神舞が復活されたときに購入されたものが4面ある。 明治33年に作られたもの面は、安楽山宮神社のものを模して愛媛県宇和島の面師に依頼したものである。最初6面あったが、子ども面が1面不明となり、現在5面が残っている。神舞衣装について「寄付簿」の中に「劫節各女氏二於テハ右面殿着類トシテ布反物ヲ各自御寄付有ラン事ヲ希此段申添候」とあり、続いて「各女氏 布御寄付ノ諸君ハ此限リニアラス」という項目があり、一.布壹反木崎ケサツル、一.  壹反着類壱前 白濱オナカ、一. 布壹反着類壱前上杉チヨツル、一.鬼神着物壱前 宮ヶ迫守之助、」 などと現金寄附だけでなく、布や着物などを寄付していることもわかる。

 

(3)白鳥神社の仮面と衣装(仮面4面 衣装4着 指定)

白鳥神社の神舞は、文久二年(1862年)に舞われた記録が「文久弐年壬戌三月八日 志布志伊崎田村 白鳥社 神事舞一巻 社司 宮園 門 格護」に残っている。

その頃コロイ(コレラ)という急病が流行し、殿様の武運長久、村中の老若男女、牛馬まで病気かからないようにという祈願のため、神舞を奉納しようということがきっかけとなっている。このときの神舞面と衣装については、同神事舞一巻の中に「…略、鬼神面の儀は伊膳自力を以相調候得共 服飾當地合取入方 深代仕立方彼是神舞前後之入價頭銭百壱貫拾三文 百米弐石程二相及候…」とあることから、このときの鬼神面などは伊膳が白力で揃えたが、服装などは布地、染め、仕立てなどに経費がかかり、百一貫十三文、その他米代二石分などたくさんの費用がかかったということが確認できる。

神舞面は木箱に納められ、箱の蓋表には「文久二年壬戌三月 白鳥社 神舞面 八」と書かれ、箱の蓋裏には「神舞面七ツ 細工人 笹川勘助實友 右者国中一統コロイと云病至流行 御上様武運長久村老若男女家内為安全神舞之願申上 当所惣神主 小川舎人様江弟子成上致稽古御願成就付被者…後略」という文が墨書されており、蓋の表と裏で面の数が合わない。 衣装は麻製である。神舞面をつけたときの入場は赤面、青面、黒面、白面の順で、退場のときは逆に白面、黒面、青面、赤面となっている。

施設概要

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最終更新日時: 2014-12-19 (金) 13:04:30 (1642d)